気まぐれ日記 09年12月

09年11はここ

12月1日(火)「今年もARTBOXに感動・・・の風さん」
 昨夜は何とか連載原稿を送付し、午前1時前に就寝できた。今朝は少し早く自宅を出発しなければならない。それで、6時半起床。
 しかし、家族それぞれ早起きで、どんどん家を出て行く。朝に弱いのは私だけかも。
 ミッシェルで40分かけて某駅まで行き、来た電車に飛び乗った。予定していた電車よりも早い。
 体調を整えるために、頚椎症のための痛み止めと花粉症予防のための薬をカフェオレで流し込んだ(笑)。
 途中2回乗り換えながら時間調整して名古屋へ。さらに地下鉄に乗り換えて、目的地に着いた。
 毎年楽しみにしている竹中工務店名古屋設計部の作品展「ARTBOX」の審査である。
 今年のテーマは「維新」。
 入口にいきなり銅箔のオブジェ。全員参加の造形美に圧倒されながら会場に入ってまたビックリ。この会場には何度か来たことがあるが、同じ場所とは思えない。作品を引き立たせるためにすべてが黒子に徹している異次元空間になっていた。
 本来は作品は30cm立方の小さな空間しか許されていない。そこに作者の何かが凝縮され、来訪者に向かってメッセージが発せられるのだ。考えに考え工夫を凝らした造形が、素材を驚くほど変貌を遂げている。私は特に建築現場に捨てられていた端材が作者の魔法の手によって芸術に昇華されているものを好む。
 採点表を持って歩きながら、どの作品にも勲章を与えたくなる。「4点だけ選んでください」と言われたが、見る間に採点表にはチェックマークが書き込まれていく。本当に絞り込むのに困った。
 そうして、何度も何度も歩き回りながら、結局最後は、自分の感性で選ぶしかなかった。
 今年も感動をありがとう。
 夜、テレビのビデオ録画で面白いことがあった。
 「7時から録画しなきゃいけないんだけど、忘れそうだわ」とワイフ。
 「Gコード予約しておけばいいじゃないか」とテレビを見ない私。
 「Gコード予約ぅ?」とワイフ。
 新聞のテレビ欄にある数字をリモコンに入力してビデオデッキに送信した。うまくできた。
 「すごい!」とワイフ。
 「えっへん」と私。
 それが終わって、
 「9時からの録画予約、自分でやってみよう」とワイフ。
 「なーんだ、やればできるんじゃん」
 そして、……9時になった。
 「あれれ? いきなりプッツンだって!」
 なぜか9時になると同時にビデオデッキの電源が落ちた。

12月2日(水)「久々の花粉症で苦しむ風さんの巻」
 昨夜は、必死で日本経営工学会論文誌向けの投稿論文の修正を完了させた。終わったのが午前零時過ぎ。それから、査読の先生宛てに説明文を書き、郵送の準備を終えて、就寝したのが午前2時半だった。
 徹夜にならなくてよかった。
 出社前にコンビニのポストに投函した。こうやって一つずつ仕事を片付けていくしかない。
 会社ではラジオ体操から元気に1日が始まったが、昼ご飯を食べた頃から猛烈にくしゃみと鼻水が出だした。
 これでは全く仕事にならない。
 学位論文で焦っている時でもあり、同僚に手伝ってもらっているDP(最適化手法)のための前提条件整理をすることにした。
 ところが、頭がボーッとしてさっぱり進まない。
 定時後になって、皆がどんどん帰宅していくのに、私だけ帰れない。
 参考文献をたくさん紙袋に入れて退社した。
 帰宅してもまだくしゃみと鼻水が止まらない。ワイフは新型インフルを疑っている。否、我が家の大事な受験生を抱えて、風邪などひいている不届きモノ、といった目で私を見ている。花粉症だって!
 さっさと寝てしまおうと思ったが、結局午前1時ころになってしまった。

12月3日(木)「学位論文執筆態勢から・・・の風さん」
 9時過ぎまで寝て、体調バッチリにして起床……(論文執筆のために今日は休んだ)……したつもりだったが、何となくイマイチ元気がない。しかし、風邪ではない。花粉症もおさまっている。
 論文執筆のための万全の態勢を作るべきと思ったので、先ずその手を打ち始めた。
 あちこちメールをしまくって、結局、週末の時間を確保した。
 先ず、土曜日は、病院へ行くのをやめた。胃カメラの結果を聞くのは次の週でもかまわない。
 日曜日に静岡県まで大阪の小寺先生がたと算額を見学に行く約束をしていたが、これも1週間延期をお願いした。申し訳なかったが仕方ない。
 せっかく論文草稿の提出締め切りを月曜日の午前まで延期してもらったのである。土曜日の午後にはゼミで指導も受けられるのである。
 午後、新人物文庫『怒濤逆巻くも』の見本が届いた。
 まさに怒涛の忙しさの中で準備を進めていた文庫が、とうとう完成したのである。
 単行本だけでも5年かかった。それから6年の歳月を経て、単行本の在庫はほぼゼロになった。来年は遣米使節派遣から150年である。その記念すべき年の前年の12月に出版できたのである。おまけに表紙絵は次女が描いた。感慨無量とはこのことを言うのだろう。
 それにしても分厚い文庫だ。700ページ近い……のに、税込み800円である。1ページ約1円というお値打ち価格である。
 たくさん売れて欲しい。
 ネットで学位論文の情報をいくらか入手してから、執筆に着手した……が、まだ気になることが多くて、集中できない。
 そうである。昨日、途中で投げ出したDP(最適化手法)のための前提条件一覧表が途中なのだ。
 気になることが多いと、仕事に集中できないものだ。
 それで、夕方から、その一覧表作成に取り組んだ。

12月4日(金)「論文そっちのけで宛名シール印刷・・・の風さん」
 いよいよ論文に集中……と思ったが、相変わらず気合がイマイチ入らない。きっと疲れているのだろう。
 確かにパソコンに向かって、草稿原稿を開いても、さあやるぞ、という気にならない。さすが芸術家、と気取ったところで何にもならない。
 とうとう怒り出した風さんは、開き直って、来週発売される新人物文庫『怒濤逆巻くも』の献本用宛名シール作成に着手した。心身共に疲れているのだろうが、気になることがあると余計精神が集中しないものだ。
 結局昼過ぎまでかかったが、何となく肩が軽くなった気がするから不思議だ。
 さあ、これから論文だ、と思ったところで、昼食となった(笑)。
 インスタントラーメンがうまかった。
 急がば回れ、ということわざもある。鬼と会ったら帰れ、という漢文の基本ルールもある(何のことだか分かるかな?)。
 以前2回作成した論文骨子を振り返って、3回目の骨子作り、つまり今回提出を要請されている要旨作成に着手した。
 初心に帰ったわけだ。
 楠木誠一郎さんから新刊が届いた。『消された龍馬 念写探偵加賀美鏡介』(講談社)である。青い鳥文庫以来しっかり講談社と仕事が続いている。見事としか言いようがない。来年になったらどこかでエンターティンメントに取り組んでみたい気がする。やったことがないので、はたしてできるかどうか、非常に興味があるのだ。
 夕方、ケータイが鳴った。何年ぶりかで市原さんと話した。しっかり作品に取り組んでいたらしい。
 夕食の後も要旨作成に取り組んだ。明日、これで大野先生の指導を受けようと思うので、なかなか完成しない。
 DPの手伝いをしてくれている会社の同僚に、「今夜はぶっ倒れるまでやるぞ」とメールを送った後、まもなくダウンした(笑)。

12月5日(土)「論文の要旨固まる・・・の風さん」
 普通に起床して、昨夜の続き。つまり要旨作成である。
 夢中でやったが、結局、午後1時にやっとできた。このまま昼食も摂らずに名古屋へ行こうかと思ったが、ワイフが肉まんをふかしていたので、電車を1本遅らせて、食べてから行くことにした。
 外は冷たい雨が降っている。
 駅までクルマで送ってもらった。
 行きの電車の中では、久しぶりに読書した。論文作成に必要な本である。
 1時間ちょっとのゼミで、色々な不安点が解消した。とにかく要旨を承認してもらったので、あとは論文の形にするだけだ。それも、やれるところまでやればいい、というアドバイスだったので、ますます気が楽になった。
 雨も上がり、とても気が楽になったので、帰りに大判焼きを買ってしまった。
 途中の駅からワイフへメールした。「今、大判焼きが@@駅を通過しました」これは、駅まで迎えに来てほしいという謎である(笑)。
 まんまとワイフが引っ掛かった。
 帰宅して早速大判焼きを食べたのには満足したが、春に出した新人物文庫『円周率を計算した男』の印税支払い通知を開いて絶句した。想像していた額の半分以下で、これではワイフの借金を半分も返せない(涙)。
 書斎に入ってメールチェックしてニッコリ(^_^)。昨年知り合った青山学院大学の先生から講演依頼が届いていた。
 我ながら浮いたり沈んだり忙しい人だ。

12月6日(日)「ズボン(自分)の寿命・・・の風さん」
 朝刊を開いて腹が立った。1面にでかでかと、フィギュアスケートで活躍した日本の選手の写真ばかりだったからだ。優勝したのは韓国の選手である。その写真がどこにもない。スポーツ欄にも地元欄にも日本選手ばかりだ。
 地球の裏側で開催されていて時差の遅れがあるなら、少しは許してもいいかもしれない。しかし、日本で開催されているのだ。しかも大きな大会である。優勝した韓国の選手が朝刊を見てどう思うだろうか。私ならこんな新聞はゴミ箱行きだ。さらに、日本の新聞の文化レベルの低さを帰国してから言いふらすだろう。
 こういうことが犯罪にならないのが不思議な気がする。
 こういった報道を見ても分かるように、新聞は情報操作をし過ぎる。
 書斎に入って機嫌を直して論文に取り組んだ。今日は、パソコンでジャズを流しながらやってみた。ヴォーカルでなければけっこうはかどる。昔の受験生のながら族を思い出した。
 夕食時、ワイフから報告があった。
 「あなたのズボン、洗濯したら破れちゃったわ」
 「家の中でしかはいてないよ。酷使してないのに破れたのは寿命かな」
 「安物かもね」
 「僕も洗濯してみたら? 破れてしまうぞ、きっと」
 午前1時に草稿がいちおう形になったので、pdfにして事務へ送信した。
 階下へ降りたらワイフがストーブの前に立っていた。
 ふと見ると、ワイフのはいているズボンも破れていた。
 夫婦ともども無理していて、もはや寿命かもしれない。
 
12月7日(月)「学位論文の草稿が間に合った・・・の風さん」
 今朝の午前零時過ぎ、学位論文の草稿がほぼ完成した。それから全体構成のバランスをとりながら、送信の準備をし、すべて完了して就寝したのが午前2時だった。
 とにかく、完成度は低いが最初のポイントまでたどり着いた。
 出社した。ラジオ体操にも間に合った。今週は何かやれる気がした。
 会議や打ち合わせをしているうちに、ふと大事なことを忘れていたのに気が付いた。今朝未明に送ったメールが無事に着いているかどうかの確認をするつもりだったのに、すっかり失念していた。
 会社のパソコンを立ち上げてメールチェックしたが、何も来ていない。
 ケータイで、転送先のウェッブメールをチェックしたら、今朝の3時過ぎに大野先生からメールが来ていた。私が草稿を送った直後に、先生が確認してくれていたのだ。開いてみると……
 「論文の題名を変えたらどうでしょう?」
 あわわ! 時計を見ると、午前11時半。指定された昼まであと30分しかない。
 学科の事務からの受信メールも今朝届いていたが、早くも差し替えをお願いしなければならなくなった。
 自宅から会社へccで送ってあったメールの添付ファイルにしてあった論文草稿を開いて修正した。そして、pdf化して、またメールに添付して、学科事務へ送信した。ごめんなさい、を付け加えたことは言うまでもない。
 昼休みに何ヶ月ぶりかでビジネス英語の勉強をした。
 午後、学科事務から返信があった。
 「ご安心ください……」
 帰宅して、夕食後、久しぶりに雑用を片付けようと書斎に入ったが……まもなくダウン。

12月8日(火)「ゆっくりするヒマはない・・・の風さん」
 今朝の2時半に書斎で目覚めた(笑)。
 ドアがすーっと開いて、ワイフが顔をのぞかせた。
 「あ、生きてた……」
 「今、ゾンビ、よみがえりました!」
 それからエクスパック500を2個と封書を1通、送る準備をして、午前5時にやっとベッドに入った。
 午前7時に目覚ましが鳴るまで眠りが浅かった。
 目覚ましの電子音でハッとして、音を止めると、急に安心感に包まれて、今度は30分間熟睡してしまった(笑)。
 それから慌てふためいて出社の準備をして、ミッシェルで家を出た。
 今朝用意した郵便物3個をコンビニで投函したのは言うまでもない。
 これでラジオ体操にも間に合ったのだから、私はよほど会社の近くに住んでいると思われそうだが、片道20km以上ある。
 昨年度、学位を取得して卒業したHさんから会社にメールが来ていた。ちょうど1年前の様子を教える内容で、最もありがたかったのは、学位論文のフォーマットというかひな形を送ってくれたことだ。
 学位論文提出まであと1ヶ月、油断はできない。若い頃の爆発力はない。少しずつ進めなければ。
 会社の同僚の協力を得て、残っているシミュレーションの作業をしたが、なかなかはかどらない。
 午後7時半。もう真っ暗である。帰宅した私は家の裏の土地にミッシェルを乗り入れ、ライトの明かりを玄関の方へ向けて停車させた。そのままエンジンを切らずにミッシェルを降りて、家へ向かい、屋外に設置してある90Lのタンクに灯油を入れる作業を始めた。ミッシェルの明かりがなければできない作業である。こういうトリッキーなアイデアが私は得意だ。
 それにしても、こんな時間になぜ私は灯油を入れる作業をするのか。分からないだろうなあ。でも、分からなくていいのだ。これは私の一種の趣味なのだから。
 夕食後、書斎に入り、昨夜の反省から眠気防止手段を講じながら雑用を片付けた。
 眠気防止手段とは……ビデオ「ダークナイト」を執筆マシンで流しながら、である。
 
12月9日(水)「文庫が1冊売れた・・・の風さん」
 昨夜から冷え込んでいた。でも、起きたら、けっこう天気が好くて、過ごしやすい日になりそうだった。
 とは言え、油断は禁物。今日は、昼休みに会社の創立60周年記念行事の一環で、近くの公園にゴミゼロのボランティアに行く。風邪をひいたら、学位論文のまとめに大きな影響が出てしまう。
 箪笥からコートを出し、マフラーと手袋とカイロを持って出社した。
 暖かな陽射しの下でゴミゼロ活動となった。防寒具はほとんど必要なかった。
 それにしてもゴミだらけの公園だった。地域の住民はいったい何をしているのだろう?
 ボランティアのおかげで、昼休みの英語の勉強はおあずけ。
 会議の合間に同僚とシミュレーションの準備……ではなくて、ほとんど私一人での準備作業。前提条件をきちっと作っておかないと、計算しても良い結果は出ない。
 残業もやって、何とか前提条件作りは終わった。
 明日は同僚に計算してもらい、結果を考察し、おかしな結果が出たら、前提条件にフィードバックしなければならない。
 今日は、ワイフが『怒濤逆巻くも』を1冊販売してくれた。奇跡的成果である(笑)。
 お礼に、壊れたクリスマス電球用コントローラーを修理してやった。
 
12月10日(木)「従業員を大切にする会社・・・の風さん」
 朝から本社へ直行。部のMTGで新人物文庫が出版されたことをPRさせてもらった。単行本が会社として歓迎された話をして、100%私的な話題でもないことを強調した。どういうことかと言うと、単行本が出たとき、会社からトヨタ自動車の専務以上全員に堂々と社員の本として寄贈されたこと、昨年、元副会長が読んでくれて絶賛してくれたこと、執筆のための取材中に、亡くなられた上司は当時入院中で、ケータイからメールを送ってお見舞いしていた話などである。
 昼に製作所に戻った。
 昼食を終えて食堂を出ようとしたら、昔仕事を一緒にした方とバッタリ。食堂を経営している会社の理事長をやられているのだと言う。会社生活が長くなってくると、様々な人生を見ることになる。その多くが幸福な人生なのはうれしいことだ。
 ビジネス英語を少しやった。
 午後は社会人研究。最適化の計算の前提条件の整備をやった。結局、定時後までかかってしまった。
 居残りの仲間と交通安全について雑談した。
 私の持論。
 「会社が従業員を大切にしていることを伝えなければ(それが伝わらなければ)、どんな施策を打っても、従業員は心から受け入れることはない」
 帰宅して、明日の準備をするのが精一杯だった。

12月11日(金)「またやっちまった・・・の風さん」
 寝不足でも今日も早起き。出かけなければいけないのに、雨がしっかり降っている。憂鬱な1日のスタートとなった。
 文庫をぎっしり詰めたキャリー付きのバッグがかなり傷んでいて、大事に使用しなければならなかった。
 午前中の出張先まで雨の中を歩くのが大変だった。
 出張先で、なんと、8冊も売れた! 奇跡的な数字である。感謝感謝。
 午前中、2件の講演を聴講できたのだが、どちらも納得できる内容で勉強になった。感謝感謝。
 昼食も食べずに次の目的地へ。午後からは半日有休なので、もうプライベートである。
 そこで、お世話になっている方へ文庫をプレゼントして、近況報告。
 滞在30分で名古屋駅へ移動。
 エクスプレスICで改札を通り、ギャラリーオ・キュルスへ電話した。お邪魔していいかの確認である。OKだったので、手土産を買った。21冊持って家を出、9冊減って軽くなったバッグが、再び少し重くなった(笑)。
 新幹線のホームから新人物往来社へ電話して、今夜、3冊持ってきてほしいとお願いした。
 N700系ののぞみに乗れて、足元にコンセントがあるのに、こういう時に限ってPCを持っていない(笑)。
 今夜のために、車中で横須賀製鉄所の勉強。
 東京も雨がしっかり降っていた。
 品川駅で降りて、ギャラリー・オキュルスまで歩くのが大変だった。
 オキュルスでは明日からの版画展の準備が終わったところだった。版画家の西山さんと、お祝いにかけつけてきた成蹊大学教授の浜田先生と歓談できた。
 残りの文庫12冊を置いてもらった。
 1時間の滞在でオキュルスを後にして、地下鉄とJRを乗り継いで恵比寿へ。
 ここで、新人物往来社の編集者二人と咸臨丸子孫の会の会長と待ち合わせ、NEXTStyleへ。
 二人の編集者にとってはミステリーツアーだった(もちろん私が仕組んだ)。不思議な空間で、飲み物を飲んでもらいながら、私と会長のエグゼブティブ名鑑収録を見学してもらった。
 その後、私の主催するパーティ。あらゆる種類の飲み物がフリードリンクである。
 咸臨丸子孫の会の会長と次第に人間の話になって行った。しかも、かなり波長が合う。シンクロしてしまう。楽しい。
 酔うほどに盛り上がっていき、いつか私は時間のたつのを忘れてしまい、編集者の女性から「風さん、バスの時間、大丈夫ですか?」と指摘されたときは、既に時遅しだった。
 慌てて飛び出してタクシーに飛び乗り「東京駅八重洲口まですっ飛んで行ってください」と頼んだが、バスの出発時刻を聞かれて返答したら「絶対無理です」と言われてしまった。
 それで、運転手へ目的地変更を伝えた。品川の某ホテルである。
 そして、ふと我が身をかえりみると、コートをNEXTStleに忘れたことにも気付いた。
 パーになった夜行バスのチケットの痛みが増幅した。
 ぷらっとこだまに乗り遅れた時の痛みまで思い出してしまった。

12月12日(土)「雨のち晴・・・の風さん」
 高いホテル代を支払って外へ出た。雨も上がって、全然寒くない。寒いのは私のフトコロの中だけだ。
 新幹線の改札口の前で、直近の新幹線を、ケータイを使ってエクスプレスIC予約した。
 カードをかざすと、予約票がピュッと出てきた。
 便利な世の中だが、そのせいで、お金がどんどん出て行く(笑)。
 待つほどもなくのぞみがホームへ入ってきた。またN700系だった。
 コンビニで買ったパンとコーヒーで朝食にした。
 その後、名古屋まで横浜製鉄所の勉強をした。たくさんあって全部は読み終わらない。
 晴れた空の下、歩いて自宅に着いたのはちょうど正午だった。
 昨夜のドジのせいで、今日予定していた病院(胃カメラの結果を聞く)と図書館(古文書のデジカメ撮影)は、また来週へ順延だ。昨夜の武勇伝(?)を語りながらワイフと昼食後、地元の図書館へ文庫を持って行って寄贈した。ついでに、来年度パイロット的に始めたい文章教室の提案をした。
 その後、auショップや百円ショップへ寄って、ミッシェルに給油もして帰宅したときには、すっかり暗くなっていた。
 
12月13日(日)「算額見学ツアー・・・の風さん」
 昨夜から冷え込むという予報だったので、万全の冬ごしらえでワイフのウィッシュに乗り込んだ。しかし晴天で、日差しがもろに車室内に注いでくる。だんだん暑くなってきた。
 JR大高駅で中国人留学生二人(同じ愛工大の学生だ)を乗せる計画だった。
 ところが、一人が大高に停車しない特急に乗車してしまったため、岡崎まで行ってしまったのだという。それで、とことこと鈍行でこちらへ戻ってくることになり、出発は10分以上遅れることが確実となった。彼は、今年初めに来日してまだ慣れていないため、JRと地下鉄を混同してしまったそうだ。憎めない失敗である。頭をかきながらやって来た彼に、入門編ともいうべき文庫『円周率を計算した男』をプレゼントした。
 ここでもう一つハプニングがあった。私の早とちりである。待ち合わせ場所を大高駅にしたのは、彼らが名古屋市内に住んでいるものという私の思い込みから、我々の最も合理的な合流点として考えたものだったが、そのもくろみはもろくも崩れたのである。彼らは、豊田市の八草キャンパスの近くに住んでいるのだという。ずいぶん遠回りをして大高まで来ていた。ごめんごめん。
 高速を突っ走って掛川へ向かった。
 今日は算額見学ツアーだが、彼らを誘った狙いは、先ず第一に、中国から入ってきた数学を、江戸時代の日本の数学者が、鎖国政策の中、自分たちの工夫で文化として育てたこと、第二に、中国で簡体字に変えてしまった漢字を大事にし、算額には漢文が使われていることを見せたかったからだ。
 しかし、現地へ着く前に、おまけの行為ができた。今日、遅れてやって来た留学生は、南京出身なのだが、日本文学への憧れが、留学先に日本を選択した大きな動機になっていた。彼が尊敬する日本の作家は、川端康成、太宰治、三島由紀夫といった顔ぶれで、偶然、自ら命を絶った人ばかりだった。そして、彼が尊敬する中国の作家は、魯迅だという。そこで、東北大学出身の私は、高校時代漢文が好きだったこともあり、大学で第二外国語に中国語を選択したこと、仙台は魯迅の第二の故郷のようなところで、私も中国語を学びながら、魯迅を意識していたと話してあげた。そして、魯迅のことを日本式の「ろじん」ではなく、ちゃんとした中国語の発音「lu sin」を使った。
 大阪から来られる小寺先生、藤井先生と合流する前に、掛川城を見学した。彼らは日本を城を見学するのは初めてだそうで、天守閣まで登って、とても楽しそうだった。
 コンビニで買ったおにぎりやまんじゅうやパンで昼食にし、それから小寺先生らと合流した。
 3つのお寺を回った。臨済宗妙心寺派の貞永寺、真言宗智山派の医王寺、曹洞宗の宣光寺である。すべて歴史のある古刹ばかりだった。貞永寺では住職が話し好きで、お茶とお菓子をいただきながら説法をしっかり聞いた。
 帰るため磐田ICに乗ったのは午後4時前だったが、高速道路はクルマが多かった。土日千円効果である。これが無料になったら、通勤や貨物にじゃんじゃん使用されて、毎日混雑するだろう。
 午後6時に、先生方と留学生を名古屋駅でおろし、私は自宅へ向かった。
 今日だけで380kmぐらい走ったようだ。

12月14日(月)「頑張ってもエネルギー切れ・・・の風さん」
 昨夜は疲労のために書斎でダウンしてしまい、そのまま今朝を迎えてしまった。
 今日もやることがたんとある。実は、新刊の文庫『怒濤逆巻くも』を30冊、ミッシェルに積み込んだ。午前中は製作所で仕事をし(少し売った)、午後からミッシェルで出張した。
 本社へ寄って、それから別の製作所へ向かった。
 なかなか良い高架のバイパスができているのだが、交通量が多い。おまけに工事もあって渋滞していた。
 製作所で用事を済ませた後、昔住んでいた地域へ向かった。実は、今夜その近くのホテルで、所属するセンターの忘年会があるのだ。
 かつてよく利用したケーキ屋に寄って、自宅へのお土産を買った。数年に一度しか来れないので、こういうチャンスは確実に活かさなければならない(これは取材のコツに通じる)。
 忘年会は、最初から飲む気はなかった。飲んで電車で帰ると、それだけで一日が終わってしまう。私の一日はまだ終わってはいけないのだ。
 昇格のお祝いを述べるべき人にはちゃんと述べて、食べるものはしっかり食べて、やや早めに失礼した。
 帰宅して、今夜こそ自分の仕事をしっかり……と思っていたが、午前2時で元気エネルギーが切れた。また書斎でダウンである。

12月15日(火)「エッセイ原稿をようやく脱稿・・・の風さん」
 会社では規則的、自宅では不規則な生活、これが最近の私の実態だ。
 ちゃんと仕事しようとすると、会社では忙しい。さっさと仕事を片付けて早く帰りたかったが、できなかった。
 今日はワイフが重い荷物を引きずりながら名古屋へ行っているので、最寄の駅まで迎えに行きたかった。普通なら絶対に実現しないのだが、たまたま名鉄で人身事故があり、ワイフの乗る電車が1時間以上遅れた。
 私は「もしかすると間に合うかも」と思いつつ、最寄の駅までミッシェルのアクセルを踏み続けた。
 午後6時32分ごろ最寄の駅に滑り込んだ。待つこと3分、ワイフが帰って来た。
 昨夜まで何をやろうとしていたかと言うと、「大衆文芸」新年号向けエッセイの執筆である。新年号なので、それなりに花のある内容にしなければならない。とは言うものの、今回はドイツの旅で何とか対応するつもりだった。
 しかし、書いても書いても、イマイチひらめかないのだ。読者に提示できる何かがひらめかないと執筆は促進されない。
 今夜も絶不調で早々と書斎でダウンした。
 それでも目が覚めたのが午前零時だったのは、今日が締め切りだという責任感からだったろう。
 苦しんだが、何とか書き終えて、伊東先生の自宅へファックスしたのは午前5時近かった。
 パソコンからファックスしながら、自分が規定の枚数の2倍書いてしまったことに気が付いた。
 毎月執筆している連載原稿と錯覚したのだ。あーやだやだ。ボケだ。
 でも、もう書き直す時間はない。
 出社前に1時間だけ睡眠時間を補った。

12月16日(水)「夢はいつかかなう・・・の風さん」
 今日は勤務先の創立60周年記念日である。
 睡眠不足だったが、今朝未明にひと仕事終えた充実感で、会社の仕事を頑張った。
 本社へ出張した帰りに、市立の図書館に寄って古文書を書庫から出してもらった。以前、コピーをとろうとしたのだが、マイクロフィルムの出来が悪く、文字が解読できなかった。それで、今日は自分のデジカメを持参した。
 おおらかな図書館で、ゆっくり好きなだけ撮影をさせてもらった。
 だからと言って、甘えて全ページを撮影したりはしない。重要な部分だけである。
 今日は、昨日よりも帰宅が遅くなったが、家は真っ暗だった。ワイフも長男も次女も誰も帰宅していないのだ。
 鍵を開けて家に入ると、のんきなペコ(猫)が出てきた。
 屋内は冷え切っていたが、今年、私がペコのために買った電気カーペット(ほとんど座布団サイズ)のおかげで、寒さを何とかしのいでいたのである。
 ポストから夕刊や郵便物を取り出し、宅配の不在通知に対応して電話したりした。
 郵便物の中に、日本文芸家協会からの手紙がまじっていた。
 開封すると、なんと、平成22年度の『代表作時代小説』に収録するから承諾しますか、というものだった。作品は、今年の『大衆文芸』5・6月合併号に掲載された「うどんげの花」である。
 すっかり忘れていた。あまりにも多忙な日々を過ごしていたため、全く思い出すこともなかった。以前なら、もしかして、という淡い期待と夢を抱いていたのに。
 プロデビューする前から、『代表作時代小説』は小説のお手本だったし、そこに収録されることは夢だった。新鷹会に入会し、プロデビューしてからも、それは夢であり目標であることに変わりはなかった。かつては、新鷹会の先生方が常連で、毎年ずらりと名前をつらねていたものだ。
 初収録となる「うどんげの花」は、格別思い入れのある作品だ。
 今でこそ、私は和算小説家という看板が目立っているが、本来は世話物、人情物、市井のひっそりと生きる人々の心情を描きたいと思って、プロを目指していたのだ。
 「うどんげの花」は大学院時代に書いた作品である。つまり30年以上も昔だ。
 上京して高校時代の同級生(文学に詳しい)にそれを読んでもらい、それなりの評価をしもらえて、大いに自信になった。
 その後、その作品を何度も手直ししながら、小説修行を続けていた。
 プロの作家に読んでもらったことも一再ならずある。
 講演を聴講した後、伊藤桂一先生を楽屋へ訪ね、「ぜひご指導を」お願いしたこともある。後日、作品が郵便で返却されてきたが、きわめて厳しい批評で、優しい印象の作品からは予想もできない小説に対するなみなみならぬ姿勢を感じたものだ。
 その伊藤桂一先生とは、その後も何度かお目にかかることができ、今でも尊敬しているが、今回の『代表作時代小説』収録の採否に関わっておられる。はたして、昔の私の作品を覚えておいでだったろうか。少なくともタイトルと作者名は同じである。
 今朝まで3日連続して書斎で朝を迎えたが、今夜はベッドへ潜り込んだ。

12月17日(木)「なかなか論文に着手できず・・・の風さん」
 本社へ直行した。
 朝から大きな会議があった。1年に1度の、所属する組織の来年以降の進め方を決める会議である。きわめて厳しい経済情勢、経営情勢の中、当初、組織そのものの存続も危ぶまれる状態だったが、期待以上の反応で、来年からまた忙しくなりそうである。
 昼前に製作所へ戻り、慌しい時間を過ごした。
 帰りに、ワイフへの借金の半分を返すため(全額返却するだけの残高がない)、CD機から現金をおろし、ガソリンスタンドで灯油をセルフで購入して帰宅した。
 今夜は、ワイフがいた(笑)。
 毎日のように文庫『怒濤逆巻くも』を送った先から反応があるが、そのすべてに応えることができないのが心苦しい。
 はかどらないのは作家としての仕事だけでなく、社会人学生としての研究つまり学位論文もそうで、参考文献を読む時間すらない。
 明日こそ、と思いつつ、またある時間ダウンしてしまい、すぐに甦ったのはよかったが、就寝は午前2時を回っていた。
 
12月18日(金)「依然としてピンチ・・・の風さん」
 どうにもピンチである。あらゆる仕事が遅れている。体力があれば、若さがあれば、とついつい思ってしまうが、ないものねだりをしても仕方ない。
 会社の昼休みに日曜日の取材計画を立案して少し安心できた。
 今夜は、久しぶりに気まぐれ日記を更新した。最近はコンスタントに更新できない。まとめてやることが多い。どうしてそんなことができるかと言うと、デスクダイアリーに備忘録を書き付けてあるからだ。小さな手帳では難しい。
 しかし、来年は大学院生の足を洗う年なので、ひと回り小さいダイアリーを購入してある。重さも軽くなるのでうれしい。
 気まぐれ日記の更新に続いて、懸案の礼状を用意した。できれば10月に出したかったものだ。
 それで、また就寝が遅くなってしまった。明日は、病院へ行けるだろうか。
 
12月19日(土)「今日も忙し過ぎる一日・・・の風さん」
 早起きできるか不安だったが、仕事がたまる一方なので、無理して起きた。
 冬型の気圧配置になっていて寒い。いちおうしっかり着込んだが、ワイフに駅まで送ってもらった。神宮前という駅で乗り換えだったが、雪と人身事故でダイヤが大幅に削減されていた。予定していた快速特急が運休だった。連日の人身事故に年の瀬を感じてしまうが、実際はそんな単純な話ではないだろう。もしかすると交通事故死よりも鉄道自殺死の方が多くはないか。だとしたら、安全対策は国をあげて取り組むべきだ。
 病院に30分遅れで着いた。やっと胃カメラの検査結果を聞きに来たのだ。
 結果は絶対に問題なしだと思っていたので、緊張することもなく、本を読みながら、その瞬間を待った。
 意外と早く名前を呼ばれた。
 終わって、ワイフにメールした。
「結果は、まったく全然ちっともまるで問題なし!」
 わずか2、3ミリの小さな良性のポリープも、バリウムを飲んでのレントゲン検査で発見できるそうだ。本当に人騒がせな……。
 また、2年後にお世話になることを医者に告げて診察室を出たのだった。やれやれ。
 バスと電車と地下鉄を乗り継いで、本山キャンパスへ行った。事務室に用事があったのだ。昼食はその前に済ませた。
 名古屋駅の地下でちょっと買い物をしてから、名鉄電車に乗った。今夜は職場の忘年会なのだが、会場が遠いので、名鉄の駅まで送迎のマイクロバスが来てくれるのだ。
 そこから7人が乗り込んで会場となっている酒場へ向かった。
 70人も参加するには小さな酒場だった。しかし、若い人の多い飲み会はにぎやかでいい。私はすみっこで小さくなってそんな人々を眺めていた。
 飲み放題の時間がタイムアウトになって忘年会は終わった。期待のビンゴゲームは、かすりもしなかった。今年の運はもう使い切っている。
 最初の駅までマイクロバスで送ってもらったが、乗ったのは、私と高卒の新人2名だけだった。多くのメンバーは2次会へ繰り出した。
 帰宅したら、新刊が2冊届いていた。上野健爾先生と新井紀子先生共著の『測る』(東京書籍)と楠木誠一郎さんの『一休さんは名探偵!!』(講談社)である。
『測る』の中を見て驚いた。膨大な事例が入っていて、これは相当な力作である。価格をはるかにこえる内容だと直感した。心して読まねばならない。
 楠木さんの『一休さんは名探偵!!』は、おなじみのタイムスリップのシリーズ物で、もう何作になるのだろうか。この間、『福沢諭吉は名探偵』をもらって読んだが、明日はその舞台となった緒方洪庵の適塾跡を見学する。
 明朝早いのだが、無理して、経費伝票の整理をしてから寝た。

12月20日(日)「1日取材で足が棒・・・の風さん」
 6時過ぎに起きた。本当は朝が苦手なのだが、今日の大阪取材はハンパではない。
 最寄の駅を特急に乗って出発。当然、名古屋からのぞみである。
 途中から窓の外の風景が雪景色になった。
 新大阪駅に着いたのは、9時26分だった。
 地下鉄の1日乗車券を購入した。850円だが、絶対に元がとれる自信があった。
 とりあえずどこへ行ったかだけ記しておこう。
 淀屋橋駅で降りて、「懐徳堂跡」を見て写真撮影。続いて、「銅座跡」。
 続いて、緒方洪庵の「適々斎塾」。楠木さんの『福沢諭吉は名探偵』の中で、塾生らの奇妙な生態が語られていたが、その現場が見られるのは楽しみだ。外から見た感じでは、予想したよりも大きな建物だった。入場料を払って、順路に沿って進んだが、昔の家はいいなあ、趣があって。せっかくだから便所に寄ったが、朝顔は料理屋にありそうなデザインだった(笑)。ほとんど垂直に近い階段を上がった2階に塾生らの寝起きする大部屋があった。夏の暑い時期に塾生らが裸で立ったまま食事していた場所らしい。思わず鼻をつまみたくなる風景だ。
 地下鉄の南森町駅で降りて、「龍海寺(緒方洪庵墓所)」へ。夫妻の墓だけ写真撮影して合掌。ここではまだ他にも見るもの撮るものがあったのだが、先を急ぐ風さんは失念した(笑)。
 谷町六丁目駅で降りて「念仏寺(ねんぶつじ橋本宗吉墓所)」へ。今日は風が冷たくて取材はつらい。寺の門が閉まっていて、周りをうろうろしているうちに開いたので、早速侵入。橋本宗吉の墓を撮影。
 谷町九丁目駅から乗って天王寺駅で降りた。今年5月に会社の同僚とここで昼食にした。そのときのお好み焼きが美味かったので、もう一度その店を探したら、すぐ見つかった。
 だんだん時間が押してきたのと、1日乗車券という武器があったので、地下鉄で1区間だったが、四天王寺前夕陽ヶ丘駅まで乗って、おなじみの「浄春寺」へ。麻田剛立の墓のあるところだ。しかし、今日の獲物は、各務文献(かがみぶんけん)夫妻の墓と大矢尚斎(しょうさい)、三井元孺(みいげんじゅ)の墓。文献夫妻の墓は左右でなく前後に並んでいた。これはよく分かっていない人が間違って配置したのだ。なぜなら、文献の左隣は、息子の嫁の墓だったから。大矢尚斎の墓は碑面がほとんど朽ちかけていた。保存が望まれる。三井元孺の墓は、今回は発見できず。
 続いて「梅旧院」へ。今回は大坂の医者の墓を中心に見て歩いている。ここでは斉藤方策の墓を先ず見つけた。さらに小石元俊の恩師である淡輪元潜(たんのわげんせん)の墓も見つけた。小石元俊の父、林野李伯の墓は見つからなかったが、たくさん積まれた無縁仏群の中に李伯と書かれた墓石を発見。これかもしれない。
 赤穂義士の墓がある「吉祥寺(きっしょうじ)」を横目に見て、「齢延寺(れいえんじ)」へ。ここには原老柳先生の石像があるのだ。すぐに見つけた。
 天王寺界隈はラブホテルが多い。お寺が多く、昔だったら法事や参詣にかこつけて出かけ精進落としに寄る地帯なのかもしれないが、遊郭や岡場所のようなものは見られない。不思議な一帯だ。
 せっかく近くまで来たので「生国魂(いくたま)神社」にお参りした。
 予定では、この次は橋本宗吉の塾「絲漢堂跡」に行くのだが、もう時間がなかった。
 まだまだ取材すべきスポットがたくさんある。
 梅田駅で降りて、近畿和算ゼミナールに30分間だけ顔を出して失礼した。
 新大阪駅まで地下鉄を使ったので、今日は7回地下鉄に乗ったことになる。
 恒例の蓬莱のぶた饅を買って家路に着いた。 
 帰宅して、今日撮った写真の中から、連載原稿に使えそうなものを選び出し、お世話していただいている三浦さんへ送った。

12月21日(月)「雪景色を眺めながらまた西へ・・・の風さん」
 寝不足だったが、ちゃんと早起きして出社した。
 会議に出て、それから出張した。
 会社の最寄の駅の駐車場にミッシェルを預けて、名古屋へ向かった。
 三省堂書店に寄ったが『怒濤逆巻くも』がすぐに見つからない。亡くなられた野村敏雄先生の『秋山好古』が平置きになっていたので、手に取って奥付を見ると、かなり増刷になっている。ブームとはいえ、良い本は売れるのだ。楠木さんの本も横に平置きであった。
 自分の本が見つからないうちに、気になる本があった。まだ読んでなかった、藤沢周平さんの本と、藤原正彦先生の本だ。買ってしまった。
 パン屋で軽く昼食を摂ってから、JRに乗った。
 次第に昨日新幹線で走った場所に近付いた。つまり雪をかぶった田園風景が目の前に再現した。
 ずいぶん遠くへ来た気分になった。
 チームで某社を訪ね、現場見学と打ち合わせをした。私の勤務先よりはるかに昔、1918年創業の立派な会社である。
 昨日も今日も充電電池式のカイロを持ってきたが、ベンジンなど液体燃料を使ったものに比べて、全然寿命が短い。スイッチを「弱」にして、何度も入り切りを繰り返すしかない。
 会社の最寄の駅まで戻って、ミッシェルで家路に着いたが、通り道だったので、大型電気店に寄ってコーヒーメーカーを購入した。私の肉体と同じで、これまで使っていたコーヒーメーカーが老いぼれて壊れたのだ。
 家に着くまで寒い一日だった。
 
12月22日(火)「従業員を大切にする会社・・・の風さん」
 会社経営の危機の前兆の一つとして「管理の行き過ぎ」がある。実務能力よりも管理能力が進歩し過ぎると、社内に何も問題が起きていない(ように見える)にもかかわらず、会社はどんどん傾いて行くことになる。特に、数値管理を徹底し、その指標を守ることだけに躍起になったときが一番危ない。かつてN自動車は、そういう事態になり、私と同年齢の優秀な経営者が登場して立て直した。
 勤務先は自動車産業の一翼を担っているので、交通安全については格別の注力をしている。ところが、職場で事故が起き、それが他部署よりも多いということで、俄然管理能力を発揮し出した。
 次々に施策が編み出され、実行に移されるのだが、数値指標を改善することが目的になってしまい、施策にハートがこもっていない。そもそも交通安全は、従業員や社会の人たちの幸福を願ってする活動である。それが、従業員の運転技能が低いと決め付け、モラルを疑い、さらに連帯責任まで負わせようとする。懲らしめや見せしめに近い施策が打ち出される。
 私は会社を誇りに思っているので、社外で話をするときなど「従業員を大切にする、伝統的に風土の良い会社ですよ」と自慢する。
 交通安全の施策を社員が自宅へ帰って家族に話したとき、「本当に従業員を大切にしているのねえ」と言ってもらえるなら、その施策は確実に絶大な効果を出すだろう。

12月23日(水)「本が売れることもある・・・の風さん」
 急遽しかも大慌てで学位論文の草稿を提出したのが16日前である。
 それからも色々な仕事や行事に忙殺されていて、全く手がつけられていない。と言うことは、あのとき、とんでもない高密度の取り組みではあったが、やっておいて良かったということだ。青天の霹靂の提出指示を出してもらったことに感謝しなければいけない。
 今日も会社では終日会議の連続で、じっくり何かに取り組む余裕などなかった。
 定時後には職場懇談会があり、その後すぐ退社したが、薬局に寄る用事があったので、通常のドライブルートから外れた。
 先日来、薬局のご主人には私の招待がばれているので、今日は堂々と作家として買い物をした(笑)。
 「『円周率を計算した男』、面白かったですよ。特に「空出」が気に入りました」
 「ありがとうございます」
 私は揉み手をしながら『怒濤逆巻くも』を売り込んだ。
 売れた!
 感激しているうちに、次の言葉が……。
 「友だちに紹介したいので、今度『円周率を計算した男』を5冊ほど持ってきてください」
 ばんざーい!
 捨てる神あれば拾う神あり、とはこのことだ(なんのこっちゃ)。

12月24日(木)「江戸時代の総入歯・・・の風さん」
 連載原稿には毎回、図や写真を3つ掲載している。自分で撮った写真なら自由に掲載できるが、他人のものとなると、掲載許可が必要である。
 来年の3月号で、江戸時代に作られた総入歯の写真を使いたかった。原稿で紹介している総入歯の写真は見つからなかったが(歯科医が書いた論文まで有料で入手したが、そこにもなかったが)、神奈川県歯科医師会が運営する「歯の博物館」にきれいな写真があった。
 昨夜、メールで写真の借用依頼を出したら、今日、先ず電話があった。「申請書を出してください」とのことで、これで借用はできたも同然である。断られたらどうしようもない。
 きっと明日が歯科医師会の事務局も御用納めだろうと思って、すみやかに申請書を作成してメールで送付した。
 そもそも江戸時代に総入歯があるとは知らなかった。
 作家の若桜木虔さんが主催するネット討論の中で、先ず入歯の話を知ったのだが、そのときはあまり興味が湧かなかった。どうやら知らないのは私ぐらいで、多くの人が知っているようだったから。
 ところが、自分の連載の中で、たまたま江戸時代の総入歯に遭遇してしまったのだ。しかも重要なアイテムとして、私の目の前に現れたのである。それで、論文まで探したのである。最もポピュラーな江戸時代の総入歯、黄楊の木を土台にして、蝋石や本物の歯を埋め込んで作ってある。
 世の中、いつ何が起こるか分からないものだ。いや、私の歯は、今のところ健在である(汗)。

12月25日(金)「今年最後のゼミはほろ苦く・・・の風さん」
 今日は、午後有休にしてあり、大野先生とゼミをやる約束だ。
 しかし、やはりひと晩で学位論文を大きく進捗させるのは無理だった(当然か)。
 夕べも遅くまで頑張ったのだが、ひどく落ち込んだままベッドに倒れ込んだ。
 今日は、午前中、本社で打ち合わせがあるので、徹夜をするわけにはいかなかった。居眠り運転の恐れがあるからだ。29年間無事故無違反で、あと1年、30年間無事故無違反を目指しているのだ。
 来年1月で嘱託の3年間も含めて定年を迎える先輩と一緒に、事務本館で会議をした。
 その先輩のお父様は、かつて勤務先の役員だった。海外進出の場面で大いに会社に貢献した方である。
 親子で同じ会社に勤める例が多いというのも、私の勤務先の特徴かもしれない。ただ、先輩の場合、お父様が役員だった関係で、役員を退かれるまで、入社することはできず、先輩は途中入社である。
 今日は非常に好い天気で、抜けるような青空が広がっている。
 こういう時のドライブはとても気分が良いものだが、ハンドルを握る私の気分は重かった。
 何せ、学位論文がほとんど進展していない。
 いったん自宅へ戻り、昼食を摂ってから、電車で名古屋へ出かけた。
 行きの電車では少々開き直って歴史の参考書を読んだ。
 つらいゼミを2時間弱で終えた。先生から叱られることはなかったが、疲労感は増すばかりだった。
 今年最後のゼミだったので、恒例の会食となった。
 近所の居酒屋で飲んだ。冷えたビールが喉にしみた。料理はそこそこで(大野先生に言わせると、値段が高い)、特に釜飯は味がしみていて美味かった。
 帰宅してから、メール処理をした。
 総入歯の画像が早くも手に入った。

12月26日(土)「これでも歴史小説家?・・・の風さん」
 何でもじっくり取り組める年末年始休暇が始まった。
 今日は年賀状作りである。
 住所録は常に改訂して最新状態なので、先ず、誰に出すべきか、昨年の実績を加味しながら、一覧表の中でチェックしていった。年々知人・友人が増えているので、最初からじゃんじゃん出すのはやめにした。
 こうして、鳴海風用と本名用の2種類のリストができたので、先に宛名だけ印刷した。
 続いて、年賀状の裏のデザインである。
 ひな形がソフトに用意されているので、これをベースにする。ただ、あまりあっさりしたデザインにすると、あとからコメントを追加する葉書が増えるので大変である。そこで今年は、最初から目一杯文章で書き込むことにした。もちろん鳴海風用と本名用の2種類である。
 デザインもできたので、印刷にとりかかった。
 例年、かすれが出たり、紙詰まりで印刷不良が出たりする。
 ところが、今年に限って、1枚も失敗なく全184枚の印刷が完了した。
 自慢げにワイフに見せたら、熱心に挿入した文章を読んでいる。文字が小さいので判読が難しい(笑)。
 ところが。
 「今年のことは去年、来年のことは今年、と書くのが普通じゃないの?」
 と鋭い指摘! 
 読み返して仰天。時制が混乱している。歴史小説家にあるまじきミスだった。

12月27日(日)「ついつい遊んでしまう風さんの巻」
 今日もまずまずのお天気だった。
 郵便局がしまっているので、年賀状出しは明日にして、もう少し仕事をすることにした。
 大事な手紙がひとつあった。これをじっくり腰を据えて書いた。
 他に、つい余計な買い物をしてしまった。ソフトのダウンロードである。英語の勉強ができる映画のソフトで、ケビンコスナーの『ボディガード』だ。アプリルにやっとインストールできたので、イヤホンで鑑賞してしまった。
 面白かった。エンターティンメントの小説でのストーリー作りの参考になった。
 待てよ。英語の勉強ソフトのはずだった(笑)。
 ということで、学位論文に全く手がつけられなかった。
 明日はしっかりやろう。

12月28日(月)「雑多な用事を大量に処理・・・の風さん」
 連休2日目で、まだ精神的に余裕がある。きっと後半は焦っているのが明々白々なんだけどなあ。
 朝食後、郵便局へ年賀状を出しに行った。今年はコメントを印刷してしまったので、もしかすると楽だったのかもしれない。手紙も1通出せた。
 郵便局のすぐ近くの銀行にも寄って現金を引き出した。今年ほどお金をたくさん使った年はない気がする。不景気のどん底で、給料もボーナスも大幅カット。文庫を2冊出したけど、出て行ったお金を補充するだけの収入にもならなかった。来年はひもじい生活を余儀なくされるだろう。やれやれ。実は、今おろした現金も、今日帰省する長女の財布へ直行することになっている(クリスマスプレゼントを兼ねたケータイ購入代金)。
 そのままガソリンスタンドへ直行して、ついでにミッシェルを自動洗車した。
 とにかくまだ懸案事項がたくさん残っているので、がむしゃらに取り組んだ。
 来年2月に受験するCPEME資格試験をネットから申し込んだ。
 投稿査読中だった日本経営工学会論文誌向け論文の進捗を確認したら、来年2月発行の論文誌に掲載が決まったという返信があったので、早速大野先生へ報告した。学位論文にギリギリ間に合いそうだ。
 ワイフのウィッシュのガソリンも残量が少なくなっていたので、ガソリンスタンドへ行き、ついでにうちの玄関の門灯用の蛍光管とグローランプを購入してきた。もう何年も前から点灯しないのだ。
 帰宅して取り付けてみたら、グローランプの接触が悪かったらしく、いじっていたら点灯した。
 夕方、長女が帰省してきたが、夕食までに懸案の葉書を4枚作成した。

12月29日(火)「やっと学位論文に着手・・・の風さん」
 朝食後すぐサークルKに昨日作った葉書を投函しに行った。店員と顔が合って挨拶したが、そのままUターンした私はさぞかし憎たらしい客だったに違いない。
 朝刊3面にOmO教授のコメントが掲載されていた。電子ブック関連で、実はOmO教授のこの分野の権威なのである。早速スキャナーからpdfを作成して、OmO教授へ送っておいた。
 やっと学位論文に着手できる状態になった。作業をしているうちに疑問点が出てきたので、会社の同僚と電話とメールでやりとりをしたが、夕方から同僚は酔っ払っていて、全く仕事にならなかった(笑)。
 これから年末年始で、いっそう不安が募ったが仕方ない。
 夜、ドイツへメールを1本送った。

12月30日(水)「苦しくても連載原稿に着手・・・の風さん」
 だんだん冷え込みがきつくなってきたが、まだまだしのげる。本格的な寒さは年が明けてからだ。
 今日は、朝、元気のあるうちに、ミュンヘンで知り合ったカナダの大学院生へ簡単なメールを送った。とっても陽気でお気楽な院生だったので、英文もいい加減でいい。とりあえず季節の挨拶を書き、彼が発表している姿をケータイで撮った画像を添付した。
 昨日点灯した門灯が朝になってもついていたので、コンセントを抜いて強制的に消灯させた。
 やはり苦しくてもやっておこうと思い、恒例の月末締め切りの連載原稿に着手した。
 ここしばらく資料を読んでいたので、やっと書けそうなムードになってきた。
 しかし、天文暦学は重い学問だ。さらに歴史がからんでいるので、相当に手強い。それでも、暦に関する本の出版も視野に入れて、とにかく勉強勉強。
 夕方一気にラフ下書きをしたので、気分が楽になった。いくら何でも明日には仕上がるだろう。
 学位論文のシミュレーションで疑問点が少し解決したので、就寝前に強引に前進させた。
 今年はこの力づくの仕事が多かったな。
 
12月31日(木)「今年もよくやった・・・の風さん」
 とうとう大晦日になってしまった。
 そして、ますます冷え込んでいる。
 朝食後すぐに連載原稿に着手した。午前中はさすがに快調だったが、急激に能率が低下した。
 鼻水がとまらない。花粉症か風邪か、はたまた新型インフルか分からない。
 先ず、花粉症の薬を栄養ドリンクで飲み込んだ。
 能率は上がらなかったし、体調も低下していく一方だった。
 今年も大晦日に長男の友人が遊びに来た。昨年と同様にこのままうちで年を越すのだろう、きっと。
 夕食後、風邪薬を服用した。どうも風邪みたいだ。
 きわめて能率は悪かったが、それでも何とか9時頃に連載原稿を脱稿し、編集者へ送信することができた。
 これだけやれるなら、来年は相当に仕事ができるぞ、きっと。
 それでは、恒例の今年の総括を以下にまとめる。鳴海風の仕事の総決算でもある。

【小説】
 短編「うどんげの花」 
    「大衆文芸」09年5・6月合併号(新鷹会)
     注)『平成22年度代表作時代小説』(2010年6月発行)に収録が決定。

【出版】
 新人物文庫
    『円周率を計算した男』(新人物往来社)(09年5月)2刷まで
    『怒濤逆巻くも』(新人物往来社)(09年12月)

【読み物】
 「忠臣蔵を天文暦学で解釈すれば」
    岩波書店「科学」2009年4月号 
 「日本のガリレオ麻田剛立」
    中日新聞夕刊 2009年8月7日
 「江戸時代の天文暦学者 間重富」
    「技術教室」(農文協)2009年9月号から連載スタート

【エッセイ、随想】
 「四千百四十六枚の『源氏物語』」
     「大衆文芸」09年1月号(新鷹会)
 「起電力」
     「技術教室」(農文協)2009年7月号 今月のことば
 「小説は気配り」
     「大衆文芸」09年9月号 野村敏雄追悼号

【講演・トークなど】
 美浜町文化協会評議員会 記念講演(09年4月25日)
 「Net Rush」エグゼプディブ名鑑(09年5月18日)
 ジュンク堂トークセッション新宿店(09年6月5日)
 ジュンク堂トークセッション大阪本店(09年7月11日)
 軽井沢夏期大学で講義(09年8月3日)
 第5回全国和算研究(長崎)大会で講演(09年8月23日)
 四日市大学関孝和数学研究所開所記念講演会(09年9月19日)
 軽井沢でミニ講演(09年11月22日)
 群馬県和算研究会・創立40周年記念講演会(09年11月23日)
 「Net Rush」エグゼプティブ名鑑(09年12月11日)

 注)他に社会人学生として
   日本機械学会東海支部研究発表講演会
   精密工学会春季大会
   日本経営工学会春季大会
   CARV2009
                     で研究発表した。

【その他】
 愛知工業大学大学院経営情報科学研究科のパンフレットに登場
      (2007年から3年連続)


 昨年と比較したい方はこちら
 2010年は、小説家としてさらに飛躍するべく活動しますので、
 皆さん、応援よろしくm(_ _)m(←これって、毎年同じパターン)

2010年1月はここ

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